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なんでもメモする場所

江國香織『とるにたらないものもの』集英社、2006

『とるにたらないものもの』(江國香織集英社、2006)

 

2017年の8月に初めて読んだ。実家に置いといたのをたまたま見つけて、4年ぶりに読み返してみた。

 

信号の緑は青みがかった翠だが、たまに青くない緑の信号がある。(. . .)たぶん、型のふるいものなのだろう。すこし舐めて小さくなった飴玉のような、浅い感じの緑だ。

 

飴玉の表現が素敵だなぁ。

 

小さな鞄を持つのは男性と一緒のときだけと決めていた。そういうときには本も傘もチョコレートもいらないからだ。そういう外出も楽しかった。

でも、それは特別な場合、甘やかな依存外出の場合だ。私にとって依存は恐怖だったので、要るものはみんな持ってます、ええ勿論自分で持てます、大丈夫、おかまいなく、というのが普段のスタンスだった。

 

駅が好きだ。

知らない場所にいくための玄関、という感じがするから。

 

アメリカの駅は)コーヒーとドーナツの匂い。

 

ケーキ、という言葉には、実物のケーキ以上の何かがある。(. . .)

ケーキ、という言葉の喚起する、甘くささやかな幸福のイメージ。大切なのはそれであって、それは、具体的な一個のケーキとは、いっそ無関係といっていい。

 

電車の中でもお風呂の中でも、歯医者さんの待合室でも喫茶店でも、とにかく常に推理小説がないと困る。行く場所がない、と感じる。あるいは居場所がない、と。(. . .)

望まない場所にいたくないのだ。

 

本というのは時空を超えるので、無論、読んでいるあいだはその世界に入りこんでいる。そこにいきなり現れる花や葉は、とても奇妙な、異世界から紛れ込んだものにみえる。

 

幸福そのものだ、と思う食べ物に、フレンチトーストがある。

 

私も何か歌うべきだと夫に言われ、私は天井をにらんで、「野ウサギのように」を歌った。「野ウサギのように」は中島みゆきの歌で、こういうふうに始まる。「いい男はー いくらでもーいるからー そばにーいてよねー いつでもー いてよねー」

私が歌いおわると、夫はぽつりと、「眠れなくなった」と、言った。

↑おもしろすぎる。

 

江國香織はこのエッセイにも出てきたルラメイみたいな、猫みたいなイメージ。自分が犬っぽい性格だからか猫っぽい人に憧れる。

夫は大好きだけど、完全に心を捧げてるわけではないみたいな様子が見えて、『きらきらひかる』の笑子に似ていてなんかいいなぁ。

 

しかし私は「りぼん」じゃなくて「リボン」って表記するのが好きです。