牧野恭仁雄『子供の名前が危ない』
牧野恭仁雄『子供の名前が危ない』KKベストセラーズ、2014
日本社会そのものが、金持ちと貧乏人、知能の高い人と低い人、モラルのある人とない人、というふうに両極端に分かれてしまっているんです。そのようにおたがいに地続きではなく、別世界だ、ということになると、もはや努力して相手側に認めてもらおうという発想はなくなって、居なおることしかできません。
名づけの文脈でこの話になるのがおもしろい。
海外で「あまり一般的でなかったり、異性的な名前をつけられたりした子供ほど、人種に関係なく少年犯罪に関わる傾向が強い」、「奇抜な名前は社会的にステータスが低くなる」といったことさえ指摘されています。
不安感から名前をつけられた場合は、名前負け、つまり名前と本人が逆になる、ということがよくおきるのです。
そして(. . . )珍奇ネームを付ける人たちには、「カッコいい」生き方ができていないという欠乏感をかかえている人が非常に多いのです。言いかえれば、「こうありたい自分でいられない」という無力感が彼ら全体を包んでいるのです。
ところが「人のつけない名前を」とこだわる人は、『まれに見るバカ』でも指摘されていたように、裏を返せばつねに「人」の目が気になる人です。
言いかえれば「主導権がない」という欠乏感、「力がない」という無力感が、珍奇ネームを生んでいるのです。
もしご自分の希望の音や文字で名前を作るときは、占いの話を混ぜてはいけません。逆に占いに従うということであれば、名字と字画の合う名前しかつけられず、かなりせまい範囲になりますので、ご自分の希望は言えません。
「酒鬼薔薇聖斗」が全部頭に関わる文字だったというのが不気味。