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洪愛珠『オールド台湾食卓記  祖母、母、私の行きつけの店』

オールド台湾食卓記  祖母、母、私の行きつけの店(洪愛珠、新井一二三訳、筑摩書房2022. Hung Ai Chu. 老派少女購物路線 / A Taipei Girl’s Retro Shopping List. 2021

 

蛋酥花生

 

(. . . )子ども時代の私と弟は、毎日その四角いテーブルで、朝ごはんとおやつを食べた。夏には洛神花茶〔ハイビスカスティーローゼルティーとも〕に愛玉〔イチジク科の植物〕ゼリー、白きくらげと蓮の実のデザート。冬には花生湯〔ピーナツ汁粉〕や熱々の米漿ライスミルク〕。

 

玉杓子は十いくつもサイズがあって、一番大きいのは肉圓台湾語澱粉餅で肉餡を包んだ軽食〕をすくうのに使い、一番小さいのは涼圓〔葛団子風のスイーツ〕用だ。

 

餅菓子や焼き菓子について。お祝いやお供えに使う麵亀〔亀の形に似せた軽いカステラ状の赤い菓子で中に小豆餡が包んである〕や糕潤〔餅米粉タロイモを混ぜて蒸しあげたもの〕、䶢光餅〔中央に穴が空いた小ぶりな丸パン〕などを買うなら、延平北路の「龍月堂糕餅舗」か「十字軒」がよい。

 

龍月堂の緑豆糕〔緑豆粉と餅米粉を混ぜ、固めた小菓子〕や塩梅糕〔塩梅の実と餅米粉、砂糖などを混ぜ、固めた小菓子〕などのいわゆるお嬢さん菓子は、大変細かい手作業で作られ、赤い文字を印刷した紙に包まれている。

 

椪餅は中が空洞の菓子で、底の内側に薄く糖蜜が塗ってあり、杏仁茶や麵茶麦こがしの汁粉〕などの甘いお汁粉類にぴったり合う。

 

祖母と私はいっしょに門前の切仔麵や、米苔目を食べ、お菓子屋の「龍鳳堂」で「麻米粩」〔餅米粉を主材料とするさくさくとした揚げ菓子を麦芽糖胡麻などでコーティングしたもの〕を買った。

 

マカオ

 

広東人のいう「油器」とは揚げ物一般を指し、なじみのあるところでは、油条〔揚げパン〕、煎堆胡麻菓子〕、炸糖環〔車輪型の甘い揚げ菓子〕、牛脷酥〔牛タン型のパイ〕、豆沙角〔小豆餡入り揚げパイ〕などがある。

 

・喜包

鶏屎藤粿ヘクソカズラ餅〕

 

芋棗は作るのが簡単で、誰もが好む味だから、是非作って見るのといいと思う。

 

ロールキャベツは父方の祖母が作っていた年越し料理の一品で、わが家の食卓に登場して六十年以上になる。(. . . )祖母がこの料理を毎年作ったのは、彼女が日本統治時代に育った娘だったからだ。

 

ところが日本に留学した弟が、家に電話をかけてきて報告するには、「浅草に行ったら、そこら辺を歩いている背広姿のお年寄りが、みんなおじいちゃんに似ていて、おでんの鍋には、どこでもおばあちゃんが作るのと同じロールキャベツが入っている」と言うのだ。「ここはロールキャベツの故郷で、おじいちゃん、おばあちゃんが登場する映画の舞台みたいな場所だよ」と。

 

年越し料理は普通の食べ物とは違い、儀式のための食べ物なのだ。まったく手間がかからなかったら、かえってありがたみが薄れてしまうだろう。

 

お茶菓子で格別人気があるのは土豆糖〔ピーナツ飴〕と芝麻糖〔ごま飴〕だ。

 

私たち子どもには別に好きなおやつを選ばせてくれた。たとえば、筍豆〔味つけ大豆〕、巧果胡麻入りの薄くひねった揚げ菓子〕、麻球〔ゴマ団子〕、油炸饊子〔卵と小麦粉で練った生地を毛糸玉状に伸ばして揚げた菓子〕などだ。(. . . )一番印象的だったのは老天禄の桂花條糕だ。餅米で小豆餡を包んだ細長い餅菓子で、金木犀の花になぞらえた美名に負けない口当たりのよさだった。

 

王宣一著『国宴と家宴』の中に、上海の女性たちが好んで食べた薔薇瓜子の話が出てくるが、ここで売っている。

 

劉仲記は胡麻味と薔薇風味の酥糖〔さくさくした飴菓子〕が看板商品で、包装を見るだけでも心が踊る。

 

(劉仲記の)中に一つ華洋折衷の風味がたまらない商品があり、白脱花生糖〔バターピーナツ飴〕と呼ばれている。

 

台湾は伝統菓子の種類が極めて豊富なのに、なぜだかパイナップルケーキだけが注目されて、民間外交の道具になっている。その理由を考えてみるに、伝統菓子によく使われる小豆餡や緑豆餡が、豆類は塩味のおかずとして食べる習慣の西洋人の口に合いにくいのではなかろうか。

 

台湾伝統菓子の世界に、見た目が華やかなものはたくさんある。緑豆糕にしても婚礼用の大餅〔大きな焼き菓子〕にしても、木製の型で抜き、寿や双喜〔喜の字を横に二つ並べ、結婚の祝いに用いる〕の文字、あるいは花鳥虫魚などの模様を浮き上がらせる。緑豆椪のように、バターパイ風の生地を用いたものは、上に赤い色で文字を書いたり、点を打ったりする。

 

www.weddings.tw

 

十八世紀から今日まで、数十万もの中国移民が、広東省東部の潮州や汕頭からここ(タイ)にやってきた。一つひとつの建物に黒と赤で塗られた横額が懸けられ、金の文字は中国語とタイ語の両方で書いてある。読んでみると、意味は通じるけれども、言葉遣いは清朝時代のものだ。

 

あちらこちらの茶室で耳をそば立てて、気がついたことは、年配の男性たちが、たいていは昔語りをしているのに、女性たちは多くの場合、目の前の現実について話し合っているということだ。