ミア・カンキマキ『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』
ミア・カンキマキ『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』末延弘子訳、草思社、2021
平安時代の宮廷世界は美に捧げられた宇宙で、それらを支配しているのは歌であり、書であり、音楽であり、恋愛だった。これは、世界中のどこにもなかった文化だ。
どうしておそらく世界でいちばん物価が高い日本に惹かれてしまうのだろう?
今は困難だけど、2010年頃は物価高かったのか?
悪名高い宮廷女房たちが、持ち家があり経済的に自立しているキャリアウーマンであっただけでなく、セックスに奔放な女性でもあった。まさしくセックス・アンド・ザ・シティの女たちというわけだ。
ある意味、日本は依然として自分の殻に閉じこもっていて、自己満足し切っている。
「あの緑茶党」だと、いちいち言い訳しなければならない状況に陥らずに済む。
フィンランド人でコーヒーが苦手だと肩身が狭いのね。
三ヶ月滞在予定で三月初めの京都までのフライトチケットを買う。そうか、私はこんなふうにいつも生きていたかったのだ。旅をして、書いて、研究する。私は探検家でありたい。
にくたらしいもの
なんてことない男がなんでも知っているみたいにあれこれとしゃべっているの。
多分この儚さに敏感であることこそが、筆舌に尽くしがたいことこそが、他の何よりもこの文化において私が共感するところなのだと思う。
絵に描いて見劣りするもの
なでしこ、菖蒲、桜。物語で美しさを称えられている人物たち。
この国(日本)に関しては、人々はいろんなこだわりを持つものだ−−長距離ウォーキングとか昔の宮廷女房とか)。
私たちは、将来とは、すべての選択肢が開かれていると初めはそそられても人をダメにする、と話した。結局は何かしらの目標、デッドラインが必要なのだ。
怒った人がサウナストーンに水を打ったあとのような夏の厳しい暑さ
ついに、日本で学んだいちばん大事なことは、散った花は散っていない花と同じくらい美しくて意味があることだと言ったときには、彼はもう待ち飽きて、他の誰かとおしゃべりをはじめていた。
おもしろかった。清少納言が好きなフィンランド人が京都までやってくるという展開がもうおもしろすぎる。